危機・災害等の発生前・発生時・発生後の保健医療データ管理に関するスコーピング・レビューおよび事例研究

フォトクレジット:
実施期間:

2020年6月~2021年12月

連携機関:

代表研究機関: 広島大学(日本)、ジョンズホプキンス大学(米国)
参加研究機関: 吉備国際大学(日本)、産業医科大学(日本)、WHO緊急医療チーム、DMAT事務局(日本)、モザンビーク保健省(モザンビーク)、日本医科大学(日本)、兵庫県災害医療センター(日本)
主導研究者: 久保 達彦(広島大学)、 Edbert Hsu(ジョンズホプキンス大学)

研究対象地域:

グローバル

総予算:
US$ 80,200

背景

仙台防災枠組2015-2030では、防災における保健医療の役割の大きさと、その科学的エビデンスの重要性が強調されました。エビデンスに基づく政策や事業には、危機・災害等の発生前・発生時・発生後の信頼できる保健医療データが不可欠です。

近年、標準的な保健医療データ収集法が2つ開発され、検証されました。WHOの緊急医療チーム(Emergency Medical Team、EMT)のMinimum Data Set(日報すべき最小のデータセット、MDS)、および、日本版災害時診療概況報告システム(the Japan Surveillance in Post Extreme Emergencies and Disasters、J-SPEED)(国内向け)です。本プロジェクトでは、WHO EMT MDSとJ-SPEEDの適用に関する事例研究を実施しました。これらの標準手法を用いる際のさまざまな推進要因と阻害要因、ならびに、エビデンスの現状と不足に関する既存の知識を取りまとめるために、スコーピング・レビューも実施しました。

 

目標

  • 危機・災害等の発生時およびその前後の保健医療データ管理に関するエビデンスの現状と不足を明らかにする。
  • 災害および公衆衛生上の緊急事態における、標準手法を用いた保健医療データ収集をさまざまな環境で実装する際の推進要因および阻害要因を特定する。
  • 災害対応に不可欠な公衆衛生のデータを提示するために、国際的に認められた標準的なツールや方法に焦点をあて、研究や疫学、サービスの計画における活用の可能性を示す。

 

研究手法

  • スコーピング・レビュー:災害や公衆衛生上の緊急事態の発生前・発生時・発生後の保健医療データ収集および最小データセットの基準に関する研究について、英語と日本語でスコーピング・レビューを1件行いました。PubMedおよびEMBASE(英語)、医中誌(日本語)の3つの電子データベースならびに灰色文献を用いて、さまざまな危機・災害時に適用されたデータ収集と最小データセットに関連する用語の組み合わせを検索語とし、検索しました。2021年7月より前に出版された論文を、他の制限を設けずに対象としました。8864件の英語・日本語・灰色文献をスクリーニングした後、68件の研究をレビューに含めました。
  • 実装に関する事例研究:実装に関する事例5件を分析しました。2018年の北海道地震(事例1)および2018年の西日本豪雨(事例2)発生時におけるJ-SPEEDの適用、ならびに、両者の比較を取り上げました。また、2018年に起きた2つの災害、新型コロナウイルス感染症発生前の西日本豪雨と新型コロナウイルス感染症発生後の熊本豪雨(事例4)におけるJ-SPEEDの使用を比較分析しました。後者の比較では、日報の集計から急性呼吸器感染症(ARI)のデータを抽出し、その頻度を比較しました。最後に、2019年、モザンビークでのサイクロンIdai対応時にWHO EMT MDSが初めて適用された事例について述べました(事例5)。

EMT調整部に送付され、整理されました。その後、データを分析し、発生した個々の健康事象に関する要約データを用いて記述統計を行いました。発生頻度の高かった健康状態が5つ報告され、健康相談の種類による頻度の差や災害による差を調べるために、また、サブグループ(年齢や性別など)に特異的な健康上の問題を分析するために、必要に応じて統計解析が行われました。

 

結果

スコーピング・レビュー

スコーピング・レビューの結果、危機・災害時における保健医療データ収集の実施に際して重要となる運用・構造・機能上の推進・阻害要因が幅広く明らかになりました。

推進要因:さまざまな災害に速やかに適用できる標準的な体制、データの共有と安全な保管のしやすさ、データの収集・分析や関連研修を最適なものにする指定データ管理者と十分な人的資源、明確な定義と運用ガイダンスを含むデータ収集フォームの標準化、データの収集とセキュリティをサポートする強靭な技術インフラ、地域当局などステークホルダーとの協働。

主な障壁(阻害要因):データ収集フォーム内およびフォーム間での標準化と運用ガイダンスの不足、収集データを検証・比較する信頼できる研究デザインの欠如、医療施設や各国、関連する専門家間での協力の不足、災害に関連して物流にかかる制約、データ収集・入力の訓練を受けた人員の不足、データ収集用の信頼できないインフラ技術。

知識に関する現状と不足:災害サイクルの急性期から回復期に移行する段階の知識が主に不足しています。これは、危機・災害等発生時および発生後の標準化されたデータの収集が不足しているためで、その結果、データの質が不十分となり、実質的に、移行段階での変数や集団を比較する力に限界が生じます。

実装に関する事例研究

2018年~2020年の国内の危機におけるJ-SPEED

事例1 2018年北海道地震:J-SPEEDのデータから、32日間で合計739件の相談があったことが明らかになりました。J-SPEEDのデータを分析した結果、EMTが対応した32日間で健康相談が最も多かったのは1~13日目でした(n=721、97.6%)。相談者のほとんどは65歳以上でした。女性が相談者の大半を占めていました。対応期間中に最も多く報告された健康状態は、災害ストレス関連の症状でした。

事例2 2018年西日本豪雨:J-SPEEDのデータから、健康に関する相談が合計3,617件あり、EMTが対応した65日間で相談が最も多かったのは5~12日目だった(n=2,579、71.3%)ことが明らかになりました。医療面での対応を求める相談者の大半は15~64歳の患者でした。対応期間中に最も多く報告された健康状態は、皮膚疾患、次いで、創傷でした。

事例3 2018年西日本豪雨と2018年北海道地震の比較:2件の健康危機で多く報告された3つの健康状態(災害ストレス関連の症状、皮膚疾患、創傷)を比較・分析しました。災害ストレス関連症状は、豪雨時より地震時で有意に多く相談されていました(p<0.01)。一方、皮膚疾患は、地震時と比較して豪雨時に多く相談されていました(p<0.01)。創傷を訴える割合については、豪雨時と地震時で有意な差は認められませんでした(p>0.05)。

事例4 新型コロナウイルス感染症パンデミック下のJ-SPEED:新型コロナウイルス感染症発生前に起こった西日本豪雨(2018年)と新型コロナウイルス感染症パンデミック下に起こった熊本豪雨(2020年)で、急性呼吸器感染症(ARI)のデータを比較しました。その結果、それぞれの危機下の相談総数に占めるARIの割合は、2018年の危機下が5.4%で、2020年の危機下では1.2%にとどまっていました(p<0.001)。この結果は、2020年に講じられていた新型コロナウイルス感染症予防対策と関連する可能性があることを意味しており、また、災害発生前にとっていた健康関連の行動が、危機・災害等の発生時やその後の健康アウトカムにどのように影響するかを示しているとも考えられます。

2019年のWHO EMT

事例5 2019年、モザンビークで発生したサイクロンIdaiで初めて使用されたWHO EMT MDS:災害対応を行った110日間に合計18,468件の相談があり、新規入院は1,184件、出生は94件でした。報告の多かった健康状態は、軽度の損傷(9.8%)と急性水溶性下痢(9.4%)でした。この時、WHO EMT MDSが初めて適用され、災害状況をリアルタイムで把握するための貴重な情報が得られました。また、この情報があったことで、対応の管理者は、最も効果的な資源配分計画をたてることができました。ただし、事前のトレーニングが不十分であったためか、日報に不備があり、エラーが発生しました。

 

世界的な示唆

世界的に見て、危機・災害等発生時の保健医療データを報告する文献には、信頼できない基準がさまざまに存在しています。本研究プロジェクトは、適切な災害対応を開始するためにEMT MDSデータが重要であることを実証し、標準化されたデータ収集法の重要性が強調されました。

標準化されたMDSデータにより、危機・災害等で発生する健康上の問題の種類に関してさまざまな視点が得られます。このように標準化することで、異なる種類の危機間での比較や、国内で見られるように、同様の危機下で環境が異なる場合同士の比較もできるようになります。比較が可能となれば、実践と政策の変化が国、地域社会、個人レベルで何かしらの影響を与えているのかどうか、今後明らかにできるかもしれません。標準化されたMDSデータがあれば、医療資源を短期間で適切に配置するために必要な情報を政府が利用できるようになります。一方で、このようなデータは、今後の災害発生時の保健医療サービス対応計画にも役立ちます。危機・災害等発生時に被災者が訴えるさまざまな健康状態を明らかにすることで、被災者に長期的な支援が必要となるかといった情報を医療サービスに提供することもできます。

質の高いデータの収集を続けるためには、EMTのメンバーを継続的にトレーニングしてMDSを正しく活用できるようにすることが重要です。すべての国でのEMT MDSの採用が奨励されます。ここで、本スコーピング・レビューでは、EMT MDSの実装に影響する運用・構造・機能上のさまざまな要因が明らかになりました。EMT MDSの実装時および実装前後には、これらの要因を考慮する必要があります。EMT MDSを一貫して実装するためには、危機・災害等発生時を通してデータ収集する際の実際的な課題に対処するため、体系的な計画が必要です。地域によって事情や能力が異なるため、EMT MDSの実装能力の国別評価を行うシステムが必要になると考えられます。

 

地元関西にとっての意義

豪雨、地震、台風などによる災害や公衆衛生上の危機は、関西地域でも頻繁に繰り返し起こる問題です。J-SPEEDなど、EMT-MDSのシステムを採用することで、地域の政策立案者は、危機・災害等発生時の対応とサービスの需要を時系列で追跡できるようになるかもしれません。西日本豪雨と熊本豪雨の事例研究で見られたように、EMT-MDSを活用することで、特にMDSのデータベースが拡大するにつれ、最終的には、サービスや政策による介入の影響を災害間または状況間で比較できるようになる可能性もあります。

J-SPEEDのような共通のEMT-MDSを関西地域で採用することで、危機・災害等発生時の地域の医療対応が改善するとともに、現在および将来の災害時のニーズに対する保健医療サービスを計画する際に、地域の自治体が必要とするデータや情報が得られるかもしれません。危機・災害等発生時に被災者が訴えるさまざまな健康状態をEMT-MDSを使用して明らかにすることで、特に心的外傷後ストレスや健康に対するその他の長期的な影響に関して、長期的な支援が被災者に必要となるかどうかといった情報を地域のサービスに提供できる可能性もあります。

 

 

 

 

出版物

  1. Sugimura M, Chimed-Ochir O, Yumiya Y, Taji A, Kishita E, Tsurugi Y, Kiwaki K, Wakai A, Kondo H, Akahoshi K, Chishima K, Toyokuni Y, Koido Y, Kubo T. Incidence of Acute Respiratory Infections during Disasters in the Absence and Presence of COVID-19 Pandemic. Prehosp Disaster Med. 2022 Jan 11:1-10. doi: 10.1017/S1049023X22000085. Epub ahead of print. PMID: 35012691.

学会・会議・シンポジウムでの発表、ウェビナー開催

  1. 避難所アセスメント 情報分析 (Assessment of shelter: Information analysis). Kumamoto University Hospital Disaster Medical Education and Research Center. 2021 Disaster Medical Worker Workshop-Practical Training, 26-28 November, 2021. Kumamoto, Japan.
  2. 将来の新興感染症も見据えた広島県独自のデータ収集システム 広島県新型コロナウイルス感染症版 J-SPEED (Hiroshima Prefecture's unique data collection system with focus on future emerging infectious diseases: Hiroshima Prefecture New Coronavirus Infection J-SPEED Version). Hiroshima University Kasumi Campus Joint Homecoming Day. 13 November 2021. Hiroshima, Japan.
  3. J-SPEEDによる診療概況可視化: 東日本大震災の教訓に基づく変革への挑戦災害医学に学ぶ診療現場データの収集・可視化 (Challenge to change based on lessons learned from J-SPEED Collection and visualization of medical field data learned from disaster medicine of the Great East Japan Earthquake). The 49th Annual Meeting of the Japanese Society of Emergency Medicine. 23 November 2021. Tokyo, Japan.
  4.  J-SPEED専門職をつなぐ災害医療の取り組み(Disaster medical care initiatives connecting professionals). The 29th Annual Meeting of the Japanese Society of Clinical Behavior and the 39th Annual Meeting of the Society of Japan. Fukuoka, Japan.
  5. J-SPEED 災害医療分野の日本発WHO国際標準の国際戦略 (J-SPEED International Strategy of WHO International Standards from Japan in Disaster Medicine). 28 October 2021. Japan.
  6. 災害診療記録/J-SPEED 令和2年熊本豪雨等からの最新知見 (Disaster Medical Records/J-SPEED Latest knowledge from 2020 Kumamoto heavy rain). The 2nd Emergency and Disaster Medical Response Committee of the Japan Hospital Association. 26 October 2021. Japan.
  7. Instruction for the EMT MDS Daily Report. WHO EMT MDS Working Group/Japan Disaster Relief EMT Initiative Corresponding Unit. 21 October 2022. Japan.
  8. 災害時における保健医療の不易流行:災害とパブリックヘルス/J-SPEED (The epidemic of health care in the event of a disaster Disasters and Public Health/J-SPEED). International University of Health and Welfare. 1 October 2021. Tokyo, Japan.
  9. 東日本大震災の教訓から災害医療の未来を創る: J-SPEED-災害時の診療情報管理 (Creating the Future of Disaster Medicine from the Lessons Learned from the Great East Japan Earthquake: J-SPEED - Management of Medical Information in the Event of a Disaster. The 80th POC Seminar (The 53rd Annual Meeting of the Japanese Society of Medical Laboratory Science. 8 October 2021. Yokohama, Japan.
  10. J-SPEED ― 災害時の診療情報管理について―(J-SPEED - Management of medical information in the event of a disaster). 16 September 2021.
  11. 災害医療をデータするJ-SPEED/MDS日本発WHO国際標準の国際戦略 (Data on disaster health J-SPEED/MDS International Strategy of WHO International Standards from Japan). International Conference on the Unity of the Sciences, ICUS. 3 September 2021.
  12. 災害時診療概況報告システムJ-SPEEDと広島県の新型コロナウイルス感染症対応 (With the disaster medical care overview report system J-SPEED and Response to the new coronavirus infection in Hiroshima Prefecture). Disaster Response Medical Training Session, Nishi-ku Community Health Measures Industry Council, Hiroshima City. 9 September 2021.
  13. 災害医療チームの診療情報管理:災害診療記録/J-SPEED. (Medical information management of disaster medical care team: Medical Records/J-SPEED). On-demand delivery Fukuoka Medical Association JMAT training (Basic Edition). March, 2021.
  14. J-SPEEDをアタッチメントとした災害医療分野におけるAIの導入方向性 (Direction of Introduction of AI in disaster medicine with J-SPEED as an attachment). The 26th Annual Meeting of the Japanese Society of Disaster Medicine. 17 March 2021.
  15. 新型コロナウィルス感染症を踏まえた今後の広島県健康危機管理 - DX推進のための突破口 (In light of the new coronavirus infection Future Hiroshima Prefecture Health Crisis Management - Breakthroughs for DX Promotion). Hiroshima Prefectural Assembly Budget Special Committee. 5 March 2021.
  16. 新型コロナウイルス感染症 (New Coronavirus Infection). 17 March 2021. Hiroshima, Japan. 
  17. 新型コロナウイルス感染症を踏まえた感染症対策と災害支援のあり方 (Measures against infectious diseases and disaster support based on the novel coronavirus infection). 2020 Chugoku-Shikoku Area Disaster Support Seminar. 26 January 2021. Hiroshima, Japan.
  18. 災害医療チームの診療情報管理 災害診療記録/J-SPEED (Medical information management of disaster medical care team. Disaster Medical Records/J-SPEED). Education Material on J-SPEED for Japan Medical Association Team (JMAT). 16 January 2021. Japan.
  19. EMT Minimum Data Set (MDS) for COVID-19. 2nd Webinar on Good Practice on Medical Response Against COVID-19 Outbreak. 8 December 2020.
  20. 保健師等研究の基礎知識量的研究、やりましょう!(Basic knowledge of public health nurse research: Quantitative research, let's do it!). 2020 New Late And Mid-Term Public Health Nurse Training Program. 5 October 2020, Hiroshima, Japan.
  21. 災害防止の実際から見えてきた公衆衛生学的課題とその対応~自然災害から何を学び、職場における緊急対応として何を備えるべきか (Public health issues and responses to disaster prevention - What should be learned from natural disasters and prepared as an emergency response in the workplace). Yamaguchi Medical Association Industrial Physician Workshop. 19 September 2020. Yamaguchi, Japan.
  22. 災害診療記録/J-SPEED ― 豪雨災害を踏まえた避難所COVID-19 モニタリングを含めて(Disaster Medical Care Record/J-SPEED - Including COVID-19 Monitoring of Evacuation Centers in Light of Heavy Rain Disasters). 2020 Asa Medical Association Disaster Medical Lecture. 27 August 2020.
  23. Introducing the WHO Emergency Medical Team Minimum Data Set (MDS). The ASEAN EOC NETWORK. 18 August 2020.

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